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Carnet 223

Geneva Music Festival and Flamenco Part–1

ジュネーヴの音楽祭、そしてフラメンコ その1

今回の「カルネ・ド・フランス」は、今年6月末にジュネーヴ市で行われた音楽祭についてお届けします。

その音楽祭は、毎年主催されるフェスティバルで、ジュネーヴ市内全体で、様々な種類のコンサートやダンスパフォーマンスが行われます。とてもにぎやかで人気のあるフェスティバルです。今年は6月21日~23日に主催され、期間中は町全体が楽しく盛り上がり、どこへ行っても美しい音楽を味わうことができました。それはすべて無料で、つまりお金が全くなくても様々な音楽をライブで聴ける素晴らしい、本当に「市民のため」の祭りです。それで老若男女を問わず、毎年大勢の人々が参加します。音楽を聴けることばかりではなく、ダンスや歌のワークショップもあり、様々な音楽スタイルが体験できます。今年は、合計529組のオーケストラ・アーティストやバンドが参加しました。

まずそのフェティバルの由来についてご説明します。1981年にフランスで設立されました。つまり、当初の文化大臣であったJacques Lang(ジャック・ラング)氏が、音楽は普遍的な価値があり、心とマインドを豊かにしている、という確信を持っている方でした。それと音楽は様々なジャンル(クラシック、モダン、ロック、フォーク……)が同様な価値を持ち、同じレベルであること、という考えがありました。

しかしパリのような大都会では、コンサートやダンスショーはかなりコストが高くなります。経済的な理由で参加できない人が多いので、もっと幅広く参加できるような条件を整えなければならない、という考えから出発し、Fête de la musique(フェート・デュ・ラ・ミュジック)つまり、「音楽祭」のような形で、毎年数日間の間に、普通な市民が無料で楽しめるような祭りを作りました。そのために、パリ市が補助金を支給することを決めました。

そのモットーは、La Fête sera gratuite, ouverte à toutes les musiques, et à tous les Français(その祭りは無料で、様々なジャンルの音楽を提供し、フランス人すべてのための祭り)というものでした。当時は非常に革新的なアイデアで、確かに「音楽の革新」(Révolution de la musique)という表現も使われていました。まさにフランス共和国の標語であるLiberté, égalité, fraternité (自由、平等、友愛)を象徴しています。

パリで初めて主催されたのは1982の6月21日で(つまり夏至)でそれ以降毎年行われており、フランス全体に広がりました。それは市内ばかりではなく、病院、学校、刑務所や様々な共同施設でもコンサートが行われました。大成功し、予想を遥かに超える観客数が参加しました。その評判は国境を越えて、1985年からフランスの隣国にも紹介され、たった10年間の間に、85か国に導入されるようになり、2017年には120か国以上が参加している状況でした。

28年前(つまり1991年から)スイスでも主催されるようになりました。アジアでは、中国のみで2012年から行われています。日本でも同じ祭りがあればおそらく大成功すると思います ! 日本も音楽のファンが多く、例えばクラシック音楽の愛好者は世界一ではないか、という説もありますし……。 (次号に続く)

連載コラム写真
ジュネーヴの中心にあるヌーブ広場(Place de Neuve)は交通禁止になり、様々なコンサートが行われました。お天気も素晴らしく、噴水の中で、メロディに合わせて踊っていた人もいました。プロテスタント教が深く根付いている、少し厳しいジュネーヴ市は数日間の間、巨大な遊園地に変身しました。
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クラシック音楽のコンサートも大人気があり、様々な世代の観客がいました。必死に聞いてくれた聴衆から盛大な拍手を受けた、そこで演奏したミュージシャンにとっても、一生忘れない瞬間だったと思います。
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市内で、お互いを全く知らない人と手を繋いで楽しく踊っていた、人々の姿に感動しました。まさに、音楽祭りの生誕地であるフランス共和国の標語、LIBERTE, EGALITE, FRATERNITE(自由、平等、友愛)を表現しています。
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夜のロックコンサートもあり、古い建物は美しくイルミネーションされていました。その周辺に住んでいる人は、おそらく一晩眠れませんでしたが、誰も文句を言いませんでした。
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